コロナショックにより縮小した卒業式が行われ、在校生や保護者に見守られながらの多くの歌声や拍手の中、校舎を去る模様がなくなり、桜の花が見送る光
春には大学生、社会人とそれぞれの巣立ちがあり、住み慣れた家を出て、一人暮らしの期待と不安の入り混じる中、新しい生活がスタートします。掃除も洗濯も炊事も自分だけでは充分にできないことを思い知る頃です。失敗を繰り返しながら覚えていくか、放棄していくのでしょう。
色々な思い出の詰まった子供部屋には生活感がなくなり、帰省時の宿泊施設になってしまいます。その部屋を見て、子育ての苦労からの解放感、達成感、なんとも言われぬ寂しさがあります。
そんな我が子がいつの日か、伴侶となる人と挨拶に来ます。育った子供部屋で伴侶と泊まることが本当の巣立ちの一歩目かもしれません。いつしか帰省の際に家族が増えて、残しておいた家具を処分しないと手狭になっていくのです。こうして子供部屋の役割を終え、空っぽになっていくのです。
帰省時には、寝泊まりしたり着替えたりするので、和室の方が使い勝手がいいかもしれません。孫が大きくなれば次第に帰省も減り、思春期を迎えるころには、近くの宿泊施設に泊まるかもしれません。すっかり空いてしまった子供部屋はその存在価値さえも失いかねません。
役目の終えた部屋は、次の目的に変化していきます。収納部屋やセカンドライフの趣味室へ。写真、釣り、読書、刺繍、パッチワーク、音楽、映画など道具収納、手入れや鑑賞のための空間になります。
このようにある目的を持った部屋は時代により目的変更がなされなます。目的がなくなればその存在価値を失っていくのです。一方で日本の建築では目的を持たない、多目的な部屋の設計がされていました。例えば和室は寝室であり、お茶の間であり、食堂であり、居間と目的を変化させることができました。だから存在価値を失わないモノなのです。
こうした家族の変化に伴う部屋の設計は将来を見据えた設計が必要です。どんな目的変更にするのか、その際に、広さは、位置は。現在の必要な間の取り方、将来の間の取り方。ゆくゆくはムダな空間の固定資産を払うだけのお荷物にならないようにしなくてはいけません。
将来設計はなかなか難しいものです。住宅展示場で多くの事例を見聞きすることがお薦めです。